ひきこもったっていいじゃない!
最近、「不登校」や「ひきこもり」で悩んでいる女子高生や、ひきこもってしまっている子供の親からの電話やメール相談を多く受けます。この傾向は女子高生だけではありません。主婦の方は子供の幼稚園の送迎に生き苦しさを感じるとか、男女を問わず会社に行けない(出社拒否)とか、ひきこもりがちになってしまっているとう相談です。
無料電話カウンセリング、無料メールカウンセリングというインターネットでの検索から私のところへアクセスする方が多いのです。
このことは、ひきこもりの方にとっては、自分の部屋から出なくても済むし、実際にリアルに面談したりしなくてもいいインターネットならと、電話やメールを使っての本人の小さな行動ができるということに気づかされました。
子供たちの携帯サイトやインターネットの弊害が言われている中、皮肉なものですが携帯やネットはその意味では役に立っているのです。
話を聴くといろいろなケースがありますが、そこにはいくつかの心理的傾向というものがあります。
ひきこもり、三つの傾向
その一つには、「みんなとうまくやっていきたいのに、(たぶん)うまくやれない自分がいるからやっぱり一人がいい、でも一人は寂しいし怖い」という状態です。これは「はりねずみジレンマ」と言われているものです。
はりねずみは一人では寒いから仲間とよりそおうと努力します。でも寄り添うと体からでているハリが互いにつきささって痛いのです。痛いから結局また一人でいるという状態です。
次に、「自分は特別な存在と思っていて、少しの批判やアドバイス的なことも自分が攻撃された、非難されたとうけとってしまい必要以上に傷ついてしまった」というケースです。
これは最初のケースとは裏腹にまったくネガポジのように反転しています。最初のケースは自分に自信を持てず、いつも自分が失敗するのではないかという不安にかられています。ですが後者のケースは自分では自信たっぷりなのですが非難や悪評にとても弱いのです。時には相手に攻撃的な考え方や行為すらしてしまいますが、周囲とうまくいかず結局は落ち込んでひきこもってしまうという状態です。私はこれをナルシストジレンマと呼ぶことにしています。
稀にもう一つのケースがあります。
はりねずみジレンマも、ナルシストジレンマも本当は対人とうまくやっていきたいという願望や潜在的な欲望あるのに、まったくそれがないケースです。彼らはもともと孤独の性質があって深く人と関わること自体を好まないのです。周囲からは感情があまりない人だとかという誤解を受けますが、本当はそうではありません。むしろ自分の中の感情に繊細すぎて他人との深い関わりに不快を感じてしまうのです。意外に自分というものをしっかり持っていて植物や花などの自然界に対しての精神的な内面も豊かです。その自分の世界を誰にも犯されたくないと必死に守っているという状態なのです。
不登校やひきこもりの子はけして弱い子ではない
さて、世間では「不登校」や「ひきこもり」と聞けば、最近多いよね、どうしてそんなに心が弱いのかね位にしか思われていません。しかし、彼らは心が弱いのではありません。心がとても繊細なだけなのです。心の繊細な人は、通常の人よりも素晴らしい発想ができたり、それを誰かの助けがあったり理解してもらうことで実現できた場合には、素晴らしい行動やパフォーマンスさえみせることだってあります。
最近私が気になっているのは、ひきこもっている子供達に関して言えば、同級生や友達との対人関係をうまく築けないという場合ももちろんありますが、意外に大人たち(親や教師)の対応に傷つけられている場合が多いということです。
本人が対人関係で悩んでいた場合、本人にしてみれば、たいていはそういう状況があるとわかってくれている大人(親や教師)がいるというだけでも幾分その苦痛はやわらぐものです。
しかし、親や教師がそのうわべだけの状況に介入しようとします。いや、介入するなとは言いませんが、その対応がまったく逆効果の対応をしたり、介入したくせに場あたり的な対応ですませてしまったりして、余計子供達の対人関係をこじらせたり、あるいは本人を必要以上に追い込み、つまりは親や教師に逢いたくないがゆえにひきこもらせるというあべこべの現象が起きています。しかも、それに当の親や教師はまったく気がついていません。くわえてひきこもった子供を、なんて今の子は心がこうも弱いのだ!で終わってしまっているのです。
子供っぽいのは親や教師の方であったりして、その子には精神的な虐待を与えていると言っても過言ではありません。
その子たちに本音を言える状況をつくると、学校が嫌い!、親が嫌い!、先生が嫌い!などと叫びます。でも先ほど言ったように一つのケースをのぞいて、彼らはもともと対人とうまく関わりたいというジレンマで悩んでいるのです。
こうした体験を積み重ねると、本当はいくら人との関わりを求めていても、人間に対する不安感や不信感ほうが勝ってしまっ
たりします。不登校やひきこもりは、そういう不安や不信から逃れること、そのことの方が自分をほっとさせる行為になってしまっているのです。
しかしもっと怖いのは、逃避行動をしている自分、うまくできない自分自身を嫌悪し、心から自分を否定してしまって、そういう自分を許せなくなったり、自分の人格が壊れてしまう場合も起こります。
親や教師、大人たちはひきこもりや不登校の子供がどうこうという前に、自分たちの言動が子供を追い詰めていないかどうかを謙虚に考える必要があります。
不登校やひきこもりの子は断じて悪い子ではない
さて、冒頭で「ひきもったっていいじゃない!」と私は叫びました。その理由をなんとなくでも感じてもらえていますでしょうか。
彼らは心が弱く、彼らだけの責任でひきこもってしまっているのでしょうか。そうではありません。事態を悪化させたのは大いに周囲の大人たちが関与しています。彼らは悪くないのです。
もう一度言います。
「彼らは弱い子でも悪い子でもありません!」
意外に思われるかもしれませんが、ひきこもりが自分自身にとって有効に働く場合が多いのです。生活に支障がでるほどの長期のひきこもりは、先ほど言ったようにパーソナリティー障害を引き起こしますが、世間との接触を必要最低限にとどめる程度のひきこもりは、自己破綻を防ぐ役割もします。
それは、ひきこもることで自分と対話できる時間を持てるということです。世間から数歩身をひくことで、その風当たりが弱まって、本当の危機を脱するきっかけにすることができるのです。
誰だって、落ち込んだ時や凹んだ時は、一瞬一人になりたいと思うものです。それは、あなたにも身に覚えがあるはずです。
逆に落ち込む暇もないくらいあまりに忙しくて、気がついたら燃え尽きてしまってその空虚感や軽度のうつ症状に悩んでしまうというケースはよくあることです。(バーンアウト症候群)
「ひきこもり」はある意味、自分と向き合う時間を積極的に持つ練習にもつながります。たしかに一人で長くいると気分が沈んでしまいがちになりますが、私の所へ電話やメールで自分の悩みを相談できるという行為そのものが、自分と向き合えている証拠でもあるのです。
だから、私はその子たちに本心から言います。
「君はすごいねって!」
するとその子たちは一瞬あっけにとられた反応を示す場合がほとんどです。それもカタルシス(自浄能力)が働いている証拠です。そう「人にはどんな状況になっても愛と光に満ちたコアな自分が存在する」というのが私の信念ですが、その一瞬をかいまみることができるのです。
自分自身と対話する時間を持って、自分の心の中とむきあう習慣はどんな人にとっても大人になっていくにつれて必須な能力といっても過言ではありません。
自分のパーソナリティーが形骸化していくことを防ぐことができるのは、自分との対話以外にないからです。
日記をつけたり、読書をしたり、音楽を聞いたり、動物や植物の世話をすることもいいことです。ポイントは一人で自分のためにすごす時間を持つことなのです。
その少しの手助けを私はするだけです。あるがままの君で素晴らしいと話を聞いてあげることだけなのです。そうした時間を楽しむことが出来れば、すでにその子は回復にむかっています。
もちろんそれだけですべてが解決されるわけではありません。しかし、そのことが社会生活を楽しく自分らしく生きるきっかけになることは間違いないのです。
● 廻りの大人たちが子供達を悪くしている場合がある
● 不登校やひきこもりの子はけして弱い子でも悪い子でもない
● ひきこもりバンザイ!君は素晴らしい
最後に、このページをお読みになったあなたへ
もしあなたがひきこもりで、一人さみしくどうしようもない状態なら、いつでも私に連絡ください。また、もしあなたが教職にあって思い当たるふしがあったり、不登校やひきこもりの子を本当に思い、なんとかしたいと思ったらいつでも私に連絡ください。また、もしあなたが不登校やひきこもりの子供さんがいらして悩んでいるのなら、いつでも私に連絡ください。電話でもメールでもオッケーです。
メンタルコーディネータ
大山金昭
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